++ 農薬論争に新判断 名張毒ぶどう酒事件 再審認めず ++



2012.5.26初版

農薬論争に新判断 名張毒ぶどう酒事件 再審認めず


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中日新聞2012年5月26日
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名張毒ぶどう酒事件 再審認めず
農薬論争に新判断

  三重県名張市で一九六一年、白ぶどう酒を飲んだ女性五人が死亡した名張毒ぶどう酒事件。第七次再審請求の差し戻し審で名古屋高裁は、最大の争点だった犯行で使われた農薬は、奥西勝死刑囚(八六)の自白通り、ニッカリンTであっても矛盾しないとして、再審開始を認めなかった。
新鑑定で明らかになった科学的根拠を踏まえ、長く続いた農薬論争に決着をつける新判断を示した。
  事件に使われたぶどう酒も、ニッカリンTもすでに製造されていない。名古屋高裁は、ニッカリンTを再製造し、最新鋭の機器を使ってその成分を分析したが、弁護側、検察側の評価は真っ二つに分かれた。
  三重県衛生研究所が事件直後の一九六一年に実施した鑑定(ペーパークロマトグラフ試験)では、飲み残しのぶどう酒からニッカリンTに含まれるはずの副生成物(トリエチルピロホスフェート)が検出されていない。ところが、市販のぶどう酒に市販のニッカリンTを混ぜた溶液で同じ実験を行うと、こちらからは副生成物が検出されていた。
  この食い違いに着目した弁護団が専門家による鑑定結果を基に「副生成物が検出されていないということは、犯行で使われた農薬はニッカリンTではない可能性がある」として、第七次再審請求に提出した意見書が新証拠3だ。弁護団が出した五新証拠のうち、最高裁は唯一、審理が尽くされていないとして差し戻した。

評価ニ分した高裁鑑定に結論

弁護側・・・使われた毒物は別物
  弁護側はこう主張した。
@ニッカリンTには副生成物(トリエチルピロホスフェート)が17%以上含まれている
A17%以上含まれているなら、事件当時の鑑定で副生成物が検出されないはずがない
B事件当時の鑑定で副生成物が検出できなかったのは、犯行で使われた農薬はニッカリンTではなく別の農薬だった可能性がある。
  最新機器による鑑定の結果、再製造したニッカリンTに水分を混ぜた溶液(農薬を入れたぶどう酒を想定)には弁護団の主張通り、副生成物が24・7%含まれていた。
  これにより、弁護団は「事件で使われた農薬はニッカリンTではない可能性を示す科学的根拠は得られた」と指摘。「ぶどう酒にニッカリンTを入れたとする奥西死刑囚の自白の根幹が崩れた」と主張した。一方でニッカリンT自体から副生成物は検出されず、この点は検察側の主張通りだったが、弁護団は言及していない。
  最高裁は当時の鑑定(ペーパークロマトグラフ試験)を再現するよう求めたが、弁護団は「条件に不明確な点が多く、再現しても有意義な結果を得られない」と反発、検察側も最終的に「鑑定再現は必要ない」と判断。当時の鑑定は現在では行われておらず、再現できる専門家が見つけられなかったこともあり、高裁は再現を断念した。

検察側 ・・・結果 当時と矛盾せず
  最新鋭の機器を使って、ニッカリンTに水分を混ぜた溶液の鑑定結果は、弁護団の主張に沿っていた。これに対し検察側は、毒物を検出しやすくするために溶液を濃縮させる「エーテル抽出」と呼ばれる鑑定では、副生成物が含まれていなかった点を高く評価した。
  当時の鑑定で、現場に残されたぶどう酒からは、今回のエーテル抽出後の鑑定結果と同様、副生成物が検出されていないからだ。毒物がニッカリンTでも副生成物が検出されない科学的なデータが得られたと主張した。ただ、一方で、なぜ当時、ニッカリンTを混ぜた溶液から副生成物が「薄く小さく」でも、検出されたのか、説明がつかない。
  当時の鑑定をした三重県衛生研究所の技官は、一審公判でいずれの溶液も「エーテル抽出した」と証言した。だが検察幹部は「毒物を調べるためエーテル抽出するのは当時は常識。だが、溶液は最初から毒物しか入れてないのだから、抽出する必要はない」。当時は副生成物の有無は争点になっておらず、あいまいさも残す当時の証言を高裁がどう読み取るかも焦点だった。
  いずれにせよ、検察側は、現場に残されたぶどう酒からエーテル抽出したのは明白で「今回の鑑定は事件当時の鑑定をやり直したのと同等に評価できる」として、当時の鑑定再現を求めなかった。

第7次再審請求(20002〜)/五つの新証拠と裁判所の判断
新証拠1 新証拠2 新証拠3 新証拠4 新証拠5  
ぶどう酒の栓は開栓したことがわからないような偽装的な開栓(2度開栓)が可能とする実験結果 ぶどう酒の瓶の内栓(四つ足替栓抜)の極端な折れ曲がりは、人の歯では不可能とする鑑定書 犯行で使用された毒物にはニッカリンTであれば検出されるはずの 成分(トリエチルピロホスフェート)が含まれず、別の農業だった疑いがあるとする鑑定書 火挟みで外栓(耳付き冠頭)を突き上げて開栓する方法では封緘(ふうかん)紙の破片のような形は存しないとする鑑定書 ニッカリンTは赤色着色されており、混入後の白ぶどう酒は赤色だったはずとの報告書 ○…無罪を言い渡すべき明らかな証拠と判断
×…無罪を言い渡すべき明らかな証拠には当たらないと判断
「開栓を2度することは不可能。封緘紙も公民館で開栓と同時にはがれ、毒物が混入された」との前提は揺らいだ
人の歯では不可能。証拠物として押収された内栓が、実際に事件の瓶に装着されていた物か、疑問が生じた 事件で使われた毒物はニッカリン丁ではなかった疑 いが濃い
封緘紙ののり付けの具合次第で結果は異なり得る
×
ニッカリンTが赤色だったことは判明済み
×
2005年 再審開始決定(名古屋高裁刑事1部)
実際に事件で偽装的な開栓が行われ、2度の開栓が行われたことを疑わせるまでの証拠ではない
×
歯などで曲がった可能性を否定するまでの証明力はない
×
別の農薬だった可能性も否定 できないが、当時の鑑定は成分を検出できなかったと考えることも十分可能
×
のり付けの条件が実物と同じか疑問
×
供述通りの量では混入後も色が変化しないことは検証済み
×
2006年 異議審・再審開始決定を取り消し(名古屋高裁刑事2部)
弁護側の主張は、証拠があるわけではなく、抽象的な可能性にすぎない
×
異議審の判断に誤りは認められない
×
異議審の判断は、科学的 知見に基づく判断をしたと はいえない。審理が尽くされていない

差し戻し
「封緘紙をどうしたか覚えてかない」との供述もあり、自白の信用性を損なうものではない
×
再現実験の条件も根本的に異なる
×
2010年 審理差し戻し(最高裁)

差し戻し審の焦点となった農薬鑑定

最高裁が再現を求めた事件当時の三重県衛生研究所の鑑定結果(1961年)
◆ペーパークロマトグラフ試験
犯行現場に    市販のぶどう酒に市販の
残されたぶどう酒   ニッカリンTを混ぜた溶液
検出横出されず
焦点の副生成物

薄く小さく検出

差し戻し審の焦点となった農薬鑑定

名古屋高裁で行われた最新鋭の機器を使った鑑定結果(2011年)
再製造直後のニッカリンT
0%
副生成物Bの含有率は
ニッカリンTに水分を混ぜた溶液
24.7%
検察側
0%か5%以下
明確な主張なし
弁護側
17%以上
17%以上
弁護団
「毒物はニッカリンTではない」

◆エーテル抽出実験
エーテルで不純物を取り除いた抽出物
副生成物B
トリエチルピロホスフェートは含まれず
検察
「毒物はニッカリンT」

「事件当時の鑑定は、エーテル抽出物の成分を調べた」(三重県衛生研究所の鑑定証言)をどう読むか

名古屋高裁は、当時の鑑定を再現できる専門家を見つけられず、ペーパークロマトグラフ試験を断念


ペーパークロマトグラフ試験
対象の溶液に含まれる成分を調べるため、濾紙(ろし)に染み込ませて発色する場所を基に、何の物質が含まれているかを特定する。比較対照用の溶液を用意し、二つの溶液の成分を調べるのが原則。事件当時の鑑定では、飲み残しのぶどう酒に含まれる毒物を調べるため、この試験が行われた。事件当時は主流の検査手法だったが、現在の最新鋭機器を使った成分分析の手法と比べると格段に精度が劣るといわれる。

エーテル抽出
検出したい物質を効率よく抽出するための手法。検査対象の溶液に有機溶媒のエーテルを混ぜてよく振り、エーテルに溶け出す化学物質と、水に溶ける物質に選別。検出したい物質が溶けた溶液に、さらにエーテルを混ぜて振って分離する作業を繰り返して物質を濃縮する。最終的にはエーテルを蒸発させて濃縮された物質を抜き出す。

奥西死刑囚の第1〜6次再審請求と結果(1973〜2002)
  結果 決定日 内容
第1次 名古屋高裁が棄却 1974年1月 新証拠の提出なく、奥西死刑囚の意見書のみ。い ずれも請求棄却
第2次 1975年11月
第3次 1976年4月
第4次 1977年3月
第5次 最高裁まで争い棄却 1997年1月 弁護側は新証拠として、ぶどう酒瓶のふた(王冠)に残っていた傷が、奥西死刑囚の歯型と一致しないとする鑑定結果を提 出。二審が有力な証拠とした従来の鑑定の証拠価値は大きく崩れたが、裁判所は、他の状況証拠から奥西死刑囚による犯行と認定。請求を棄却した
第6次 2002年4月 弁護側が提出した新証拠は、奥西死刑囚には犯行の機会がなかったことを裏付ける記載があるとした、三重県警名張署長(当時)の捜査ノート。新証拠としての価値は認められず、請求は棄却

名張毒ぶどう酒事件の判決と争点・要点(1961〜72年)
  判決日 判決 主要点 動機 ぶどう酒の到着時間 唯一の物証とされた王冠 犯行 ニッカリンTの瓶
一審・津地裁 1964年12月 無罪 自白調書は「一番はっきりしない点はニッカリンT混入の時期」と述べるなど、もっとも重要な部分で信用できない。被告の犯行と認めるに足りる証拠はない 被告は、妻・愛人との三角関係をそれほど精神的に負担と考えていなかった。関係を清算するために二人を殺すほど、追い詰められていたとは思えない 会長宅にぶどう酒が着いたのは午後4時。公民館に運ぶまでの1時間に、被告以外にも農薬混入の機会はあった さびてメッキもはげ、相当古い。本件の物か疑わしい。歯であけた際にできたとされる歯形は、被告の歯型と断定した二つの鑑定結果によって歯の間隔に差があるなど、信用できない 当日、ぶどう酒を見て、農要混入を決意したとの供述は無計画すざる。農薬を入れていた竹筒は公民館のいろりで燃やしたと言うが、採取した竹の燃え殻とみられる炭化物から、有機リンが検出されなかった 被告が投げ捨てたと供述した名張川から、瓶が発見されなかった
二審・名古屋高裁 1969年9月 逆転で死刑 ぶどう酒の王冠に残っていた傷が、被告の歯型と一致するなどとした鑑定結果の信用性を認める。自白調書を待つまでもなく被告の犯行と断定するに何ら支障はない 三角関係が原因で、妻に「出て行け」と暴言をはき、暴力も振るうなど、夫婦間の争いが深刻化していた 到着したのは午後4時45分以降。被告以外に農薬を混入する機会はない 王冠が古いのは、その後の保管が悪かったため。測る人によって歯の間隔に誤差が生じるのはやむを得ない
ぶどう酒が出ることは2日前には予想できた。炭化物は事件から1週間後、裏の畑から採取したもので、本当に竹筒の燃え殻だったのか疑わしい
名張川の水流は速く、時に岩石に当たって原形をとどめないまでに破損することも考えられる
最高裁 1972年6月 上告棄却、死刑確定 被告・弁護側の憲法違反との主張には理由がなく、 その他も単なる事実誤認、量刑不当、法令違反の主張であって、正当な上告理由には当たらない

今回の決定は、最初から「奥西死刑囚の自白は根幹部分で信用できる」という前提に立って判断していることこそが問題だ。
どんな人でも、きつい取り調べを受ければ、いとも簡単にうその自白をしてしまう。無実の人ならば、最後まで否認を貫くはずだというのは根拠のない神話でしかない。
二〇一〇年にDNA型鑑定の誤りが分かって再審無罪になった足利事件で、犯人とされた菅家利和さんは公判の途中まで罪を認めていた。そんな自白がうそだったということは衝撃的だった。
それ以降、福井女子中学生殺人事件などで再審開始決定が相次いだのは、足利事件で裁判所がうその自白に基づいた判決を下してしまっていたことが影響している。
裁判官は本来、自白があったとしても供述や証拠などの客観的証拠に基づいて信用性を判断しないといけないはずだ。名古屋高裁は、自白がどんなに危ない証拠か、これまでの事件から学ばなかったのだろうか。
さらに、弁護団がこれほどの新証拠で確定判決に疑問点を示したのに名古屋高裁が再審開始を認めないなら、今回の決定は「疑わしきは被告人の利益に」という原則を再審に適用した一九七五年の白鳥決定を無視したと言ってよい。
どの程度までの疑いを再審の条件にするかは、これまでも裁判官によって幅があった。八〇年代に財田川、免田、松山、島田の四つの死刑事件が再審無罪となって以降は、この原則を厳しく判定し、重大事件では足利事件まで二十年近く再審開始が認められない時代が続いていた。
しかし、十人の罪人を逃がしても、一人の無実の人を罰してはいけないという格言に従うなら、本来はもっと素直にこの原則を認めるべきだった。
私は、名張事件は、死刑判決の根拠となったぶどう酒の王冠の歯形鑑定の信用性が崩れた第五次再審請求(九七年に最高裁が棄却)で、再審を開始すべきだったと思っている。
東電女性社員殺害事件や袴田事件など重大事件の再審請求が続いている。裁判官も間違いを犯すことはあるという前提に立たないといけない。今回の決定が今後の再審の可否の流れに影響しないことを願っている。

木谷明弁護士
(元判事、元法政大院教授)
自白が生む過ち学べ
きたに・あきら 1937年、神奈川県生まれ。63年判事補任官後、東京地裁、名古屋地裁判事、最高裁調査官、水戸地裁所長などを経て2000年退官。今春まで法政大法科大学院教授を務め、現在は弁護士。
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◇関連サイト◇
◯ JanJanニュース:  一日も早く再審の開始を――名張毒ぶどう酒事件   --> こちら
◯ 松山大学法学部・田村教授「名張毒ぶどう酒事件・(再審決定取消決定論説=学内限定)  --> こちら
◯ 奥西勝さんを守る東京の会  --> こちら


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