++ 【飯塚事件】国家による殺人か? 〜有罪の決め手は科警研が実施した精度の低いDNA型鑑定だった」第二の足利事件といわれ ++


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【 飯塚事件 】 国家による殺人か? 〜有罪の決め手は科警研が実施した精度の低いDNA型鑑定だった」第二の足利事件といわれ

飯塚事件 切り取られた証拠

飯塚事件 切り取られた証拠 投稿者 gataro-clone
飯塚事件“再検証で元死刑囚とは別のDNA” 警察による証拠捏造か!?
死刑執行は正しかったのか
飯塚事件 “切りとられた証拠”   30分枠 放送 : 7月28日(日) 24:50〜
ナレーター : 小山茉美
制作 : 日本テレビ

1992年に福岡・飯塚市で登校中の小学1年生の女児2人が行方不明となった。2人は殺害され、翌日山の中から遺体で発見された。その後、警察は捜査線上に浮上し た1人の男性を逮捕した。男性は「100%関係ない」「明らかに冤罪」と、一貫して無実を訴え続けていたが、最高裁で死刑が確定し、2008年に刑は執行された。だが翌年、男性の妻が「夫は犯人ではない」として、福岡地裁に裁判のやり直しを求めた。弁護団は無罪の理由を示す“新証拠”が存在するとして裁判所に提出。死刑執行後という異例の状況下で、はたして再審は開かれるのか…。

飯塚事件“再検証で元死刑囚とは別のDNA” 投稿者 gataro-clone
NHK121025飯塚事件“再検証で元死刑囚とは別のDNA”.flv

NHKニュース2010年7月8日 19時36分
飯塚事件“DNA再検証で別の型”
NHK121025飯塚事件“DNA再検証で別の型”.FLV
飯塚事件“DNA再検証で別の型”

10月25日22時51分

平成4年に福岡県飯塚市で、小学生の女の子2人が殺害された「飯塚事件」で、元死刑囚の裁判のやり直しを求めている弁護団は、当時のDNA鑑定を専門家に依頼して再検証し、「元死刑囚のものとされたDNAの型とは別の型が確認された」という結果を裁判所に提出しました。

平成4年に福岡県飯塚市で小学1年生の女の子2人が殺害された「飯塚事件」では、平成20年に死刑が執行された久間三千年元死刑囚の家族が、裁判のやり直しを求めています。
この裁判は複数の証拠を基に死刑判決が確定しましたが、弁護団はそのうちの1つだったDNA鑑定について、専門家に依頼して再検証し、結果を福岡地方裁判所に提出しました。
弁護団によりますと、DNA鑑定をした遺留物は残っていないため、検証は捜査段階でDNAの型を撮影した写真のネガを分析する形で行われました。
その結果、当時の鑑定で元死刑囚のものとされたDNAの型ははっきりとは確認されなかったとしています。
さらに警察が当時作った鑑定書にはネガの一部が示されておらず、その部分に元死刑囚とも2人の被害者とも違う、別のDNAの型が確認されたとしています。
弁護団は「この別のDNAが真犯人のものである可能性がある。当時の鑑定は信用性が低いうえ、警察が都合よく改ざんした疑いもある」と主張しています。
一方、福岡地方検察庁は、「DNA鑑定の資料は、ネガも含めてすべて裁判に証拠として提出し、DNA以外の証拠も評価して有罪と認定された。今後はDNA鑑定に誤りがないことを的確に立証していく」としています。

毎日新聞 2012年10月25日 22時53分(最終更新 10月25日 23時51分)
飯塚事件:ネガから元死刑囚と異なるDNA 弁護団発表

毎日新聞 2012年10月25日 22時53分(最終更新 10月25日 23時51分)
パネルを使って説明をする再審弁護団の岩田務弁護士=福岡市中央区で2012年10月25日午後5時5分、和田大典撮影
パネルを使って説明をする再審弁護団の岩田務弁護士=福岡市中央区で2012年10月25日午後5時5分、和田大典撮影
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福岡県飯塚市で92年、女児2人が殺害された「飯塚事件」で、死刑が執行された久間三千年(くま・みちとし)・元死刑囚(執行時70歳)の再審請求をしている弁護団は25日、被害者の遺体などから採取された血液のDNA型鑑定に使われたネガフィルムを解析した結果、久間元死刑囚とは異なるDNA型が見つかったと発表した。

 再審弁護団は同日、「真犯人のDNA型」とする意見書を福岡地裁に提出。弁護団によると、福岡地裁は検察側に対し、ネガを保管していた警察庁科学警察研究所(科警研)に他の資料が残っていないか調査するよう勧告した。

 飯塚事件では再鑑定できるだけの試料が捜査時に使われて既になく、DNA型の再鑑定は不可能。再審の可否を検討する福岡地裁がネガの解析結果をどう判断するか注目される。

 確定判決では、久間元死刑囚のDNA型と被害者の遺体などから採取された血液のDNA型の一致が有罪の証拠の一つとなった。弁護団は「ネガの解析結果は元死刑囚の無罪を示す決定的な証拠」と主張している。一方、福岡地検は「鑑定の内容に誤りはない」としている。

 ネガは科警研が「MCT118」法と呼ばれる手法でDNA型を鑑定した際の資料で、今年2月に福岡地裁が取り寄せ、弁護団が9月に複写して専門家に解析を依頼。今月23日に同地裁に鑑定書を提出し、25日に同地裁であった検察、裁判所との3者協議で内容を説明した。

 久間元死刑囚の型は、MCT118法で「16-26」型とされている。弁護団によると解析の結果、被害 者の遺体などから採取された血液に「41-46」型が見つかった。一方、「16-26」型は、犯人の血液が混じる可能性がない試料からも出ていたり、不鮮明だったとしている。

 弁護団は「ネガは証拠として提出されず、『41-46』型が現れた部分を意図的に除いた現像写真だけが 提出された。科警研による隠蔽(いんぺい)行為だ」と主張。福岡地検は「ネガも証拠として提出している。写真は書面のサイズの問題で一部を切り取っただけで、隠蔽ではない」と反論している。【遠藤孝康、川上珠実】

日本弁護士連合会│Japan Federation of Bar Associations : 飯塚事件
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飯塚事件

事件の概要

1992年2月20日、福岡県飯塚市で小学校1年生の女児2名が登校途中に失踪し、翌21日に隣接する甘木市でいずれも遺体となって発見されるという幼児強姦殺人事件が発生しました。また、翌22日に遺体発見現場から数キロ離れた場所から、被害者の遺留品が発見されました。

その後、遺留品発見現場付近、被害者の失踪現場付近で自動車を目撃したという証人が現れ、これに該当する車両は福岡県内で127台ありましたが、被告人がそのうちの1台を使用していたことから嫌疑をかけられました。

被告人は、1994年6月23日に逮捕されましたが、一貫して犯行を否認し、無実を訴えていました。

事件の経緯

第一審の福岡地裁は、「被告人と犯行の結び付きを証明する直接証拠は存せず、情況証拠の証明する情況事実は、そのどれを検討しても単独では被告人を犯人と断定できない」としながら、被害者の身体等に付着した犯人の血液の血液型、DNA型が被告人と同一である等と認定し、1999年9月29日、被告人に対して死刑判決を宣告しました。

また、福岡高裁は2001年10月10日に控訴を棄却し、最高裁は2006年9月8日に上告を棄却し、第一審の死刑判決が確定しました。

えん罪の疑いが強いこと

→ 飯塚事件で用いられたDNA鑑定は、足利事件(DNA再鑑定により、2009年4月にえん罪が明らかとなった。)と同じMCT118鑑定であり、時期もほぼ同時期で、技法や技術も共通で、科警研のほぼ同様のメンバーで行われました。

しかし、飯塚事件のMCT118鑑定は、足利事件以上に不出来であり、(1)目盛りとなる123ラダーマーカーに重大な欠陥がある、(2)電気泳動像のバンドの幅が広すぎ、形が悪すぎて、型判定ができない、(3)現場で採取した試料と被告人から採取した試料を同時に電気泳動していない等、数々の問題点があります。

また、科警研は、たくさんあった鑑定試料を全て鑑定で消費してしまったと主張しており、再鑑定が不可能であるという重大な問題があります。

→ 遺留品発見現場の目撃証言は、目撃後に相当時間が経過しているのに、内容があまりにも詳細にすぎ、実際には見えないはずのことまで証言している等の問題点があります。

被害者の失踪現場付近での目撃証言も、事件発生から何か月も経過してから証言を始めた、科警研のDNA鑑定が出た後に証言を始めた、その内容もあまりにも詳細にすぎる等の問題点があります。

現在の状況死刑執行に対する重大な疑問

2008年10月17日、足利事件でDNA再鑑定が行われる見通しであることが広く報道されました。しかし、その一週間後の同月24日、森英介法務大臣が死刑執行を命令し、同月28日、判決確定からわずか2年余りという極めて異例の早さで死刑が執行されました。死刑執行の時期や極めて異例の早い執行から、本件の問題点を覆い隠すための死刑執行ではないかとの疑問が指摘されています。

被告人の遺族は、2009年10月28日、福岡地裁に再審を請求しました。再審請求では、足利事件のDNA再鑑定を行った大学教授による鑑定書が新証拠として提出されています。
テレビ朝日|ザ・スクープ 公式サイト ↓
ザ・スクープ090809 8月9日(日)午後2時〜3時25分
ザ・スクープスペシャル第28弾
「“第二の足利事件”は国家権力による殺人か!?」


精度の低いDNA鑑定によって17年以上自由を奪われた足利事件の菅家利和さん。
一方で、全く同じDNA鑑定が有力な証拠となり殺人事件の犯人とされ、
死刑判決が下り、足利事件DNA再鑑定への動きが固まった直後に、
刑が執行された男がいる。いわゆる「飯塚事件」の久間三千年元死刑囚だ。
彼は死の直前まで一貫して無実を訴え続けていた…。

1992年、福岡県飯塚市で女児二人が殺害された。逮捕された久間元死刑囚は
当初から無実を主張。しかし裁判所は自白も直接証拠も一切ないことを認定しながら、
「状況証拠の積み重ね」によって死刑判決を繰り返した。
ところが肝心の状況証拠についても専門家たちは次々と疑問の声を上げている。
詳細すぎる目撃情報、血液型特定への疑問。そして問題のDNA鑑定…。

番組では裁判で採用された状況証拠を独自に再検証。さらにDNAの再鑑定に
向けて動き出し、「死後再審」を目指す弁護団に密着する。

もし再鑑定結果が当時の結果と違うものだったら…。
久間元死刑囚が真犯人ではなかった可能性が高まる。
果たして国家権力は無実の男性の死刑を執行してしまったのか!?
飯塚事件の真相に迫る中、思いもよらない事実が浮上した…。
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足利事件DNA再鑑定と飯塚事件死刑執行の接点


(1/2) 飯塚事件 森法務大臣は死刑執行した理由を国民に説明せよ


(2/2)飯塚事件 森法務大臣は死刑執行した理由を国民に説明せよ


【飯塚事件】 〜有罪の決め手は科警研の精度の低いDNA型鑑定だった

■ 検察は帝京大の鑑定結果を隠し、裁判の証拠として科警研の鑑定書だけを提出した -->こちら
 昨年十月、七十歳で死刑が執行された久間三千年(くまみちとし)元死刑囚の弁護人。

福岡県飯塚市で一九九二年二月、小学一年の女児二人を殺害したとして、殺人罪などに問われ、二〇〇六年に死刑が確定していた。 後に「飯塚事件」と呼ばれるこの事件も有罪の決め手は、警察庁科学警察研究所(科警研)が実施したDNA型鑑定だった。足利事件と同様、黎明期の精度の低い鑑定だった。

久間元死刑囚は、再審請求の準備が進んでいた昨年十月、死刑を執行された。「再鑑定できない証拠を裁判で採用する際には制限を設けるなど基準づくりが必要だ」。一時は憔悴し切っていた岩田弁護士は「死後再審」に向けて準備を進めている。

  久間三千年元死刑囚から送られた手紙を読み返す岩田務弁護士。「死後再審」に向け準備を進めている=福岡市で

急がれた死刑執行

・・・ 2006年9月8日、上告が棄却され死刑が確定。2年後、2008年10月28日、久間三千年( くまみちとし )さんに刑が執行されてしまった ・・・

飯塚事件

足利事件DNA再鑑定と飯塚事件死刑執行の接点


(報道特集NEXT 2009年6月6日)






  検察は帝京大の鑑定結果を隠し、裁判の証拠として科警研の鑑定書だけを提出した

下表のように科警研が自ら行った鑑定結果と帝京大が行った鑑定の結果は異なっていた。
HLADQB

MCT118法 科警研 久間さんのDNA型と犯人のDNA型が一致した
HLADQα法 科警研 久間さんのDNA型と犯人のDNA型が一致した
ミトコンドリア法 帝京大 久間さんと同一のDNA型は検出されなかった
HLADQβ法 帝京大 久間さんと同一のDNA型は検出されなかった



HLADQB2

MCT118法 科警研 久間さんのDNA型と犯人のDNA型が一致した
HLADQα法 科警研 久間さんのDNA型と犯人のDNA型が一致した
ミトコンドリア法 帝京大 久間さんとも被害者とも違うDNA型が検出された
HLADQβ法 帝京大 久間さんと同一のDNA型は検出されなかった
ほかのブログへのリンク:
 ■ 【 飯塚事件 】 生じた疑問はたださねば 〜再審が請求された --> こちらご本が出版されました
 ■ 【 飯塚事件 】 元死刑囚の妻が再審請求 「DNA型鑑定に誤り」 --> こちら
 ■ 【 飯塚事件 】 いよいよ「ザ・スクープ・スペシャル」に登場 --> こちら
 ■ 皆様からの情報に感謝  〜間違いも多くてスイマセン --> こちら
 ■ 「飯塚事件」 〜有罪の決め手は科警研が実施した精度の低いDNA型鑑定だった --> こちら
 ■ 犯人しか知り得ない「秘密の暴露」が一切なかった 〜足利事件〜 --> こちら
 ■ 1992年の「飯塚事件」も再審請求へ 〜「足利事件」と同じDNA鑑定 --> こちら
 ■ 上告棄却からわずか2年で処刑 〜飯塚事件 --> こちら


このページとは関係がなく恐縮ですが・・・
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内容紹介

◎ジャーナリスト 大谷昭宏氏推薦
白バイは“黒バイ”か
地方局記者が執念で迫る

「これです」
被告の支援者が数枚の写真を取り出した。
路面には黒々とした二本の筋。
裁判で有罪の決め手となった、スクールバスの「ブレーキ痕」だ。

「このブレーキ痕は、警察が捏造した疑いがあります。これは冤罪ではありません。警察組織の犯罪です」

――二〇〇六年三月三日午後二時半頃、高知県旧春野町(現高知市)の国道五六号で、高知県警の白バイと遠足中のスクールバスが衝突し、白バイ隊員(二十六)が死亡。
バスの運転手、片岡晴彦さん(五十二)は現行犯逮捕された。
同年十二月には業務上過失致死罪で起訴され、翌二〇〇七年六月には禁固一年四カ月の実刑判決が高知地裁で下された。
その後、高松高裁、最高裁と判決は覆らず、二〇〇八年十月、片岡さんは獄中の人となった。

香川県と岡山県を放送エリアとする地方テレビ局「KSB瀬戸内海放送」。
同局の報道記者である著者のもとに突然、見知らぬ男性から電話が掛かってきた。
男性は、「この裁判は作られたものだ」と訴えた。
事件が発生した高知県のマスコミは、どこも耳を貸してくれない。
藁をもすがる思いで、かすかなつてを頼って県外の地方局の記者に連絡してきたのだ。

この一本の電話をきっかけに片道三時間半、著者の高知通いの日々が始まった。
法廷の場で結審されたとはいえ、不可解な点が多々ある高知「白バイ衝突死」事故。
本事件の闇を徹底的に追った渾身のルポルタージュ!

◎テレビ朝日『報道発 ドキュメンタリ宣言』の放送で大反響!
  
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