上図の実行可能にする2つの石破理論とは・・・・
政府の解釈と国際的な定義が違う。
だから、集団的自衛権の定義を国際的な標準に合わせる必要がある。
「憲法第九条第一項が禁じているのは『国際紛争解決の手段としての武力による威嚇または武力の行使』であり、取り急ぎは、こちらで論理の解析を試行している。 --> こちら
『国際紛争解決の手段ではない武力の行使』は認められる」と解釈すべきだ
氏名 | 肩書き | 主張の判定(独断と偏見)とおもな主張 | ||
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1 | 岩間陽子 | 政策研究大学院大准教授 | ? | よくわからない・・・。 が、ようやく少しわかってきた。--> こちら から (最後段に転載させてもらう) |
2 | 岡崎久彦 | 元駐タイ大使、NPO法人岡崎研究所理事長・所長 | ◎ ◎ |
首相の外交ブレーン。「つくる会」の教科書づくりに関わっていた。 首相との対談集を出版したこともあり、その中で政府見解について「単に役人が言っただけだから、首相が『行使できる』と国会答弁すればいい」 |
3 | 葛西敬之 | JR東海会長、東海旅客鉄道株式会社代表取締役会長 | 〇 | 首相と私的な勉強会を持つ。 改憲には時間がかかるため、集団的自衛権行使をうたった法律を議員立法で成立させれば、結果的に政府解釈の変更は不要になるとの立場だ。 |
4 | 北岡伸一 | 東京大大学院教授 | ◎ | ![]() 著書『「普通の国」へ』の中で、日本の安全保障について「憲法第9条第1項の擁護、憲法第9条第2項の改正、集団的自衛権行使の容認、日米安全保障条約の強化」を明確に主張。 その論理は・・・、 第9条第1項は紛争の平和的解決を定めたもので、国連憲章の原則とも合っているのでいじらない。 問題は第2項で、この項も国連憲章とからめていて、国連憲章では紛争が起こっても武力で解決してはならないとある。もし発生したら国連軍が解決に向かうことになる。 しかし国連自身が軍隊を保持しているわけでもないので必然的に加盟国から平和維持部隊とか多国籍軍とかの軍隊を出してもらうほかない。 もし全ての加盟国のどこも軍隊をもっていなかったら国連憲章の原則どおりすなわち各国は武力で紛争を解決してはならないので平和的に解決するためには国連軍を派遣してもらわないといけないがその軍隊が存在しないので矛盾がおきる。 これと同じことが日本の憲法にも当てまり、すなわち第2項で戦力の不保持を規定していて戦力が持てないので軍隊も派遣できるわけがない。よって国連憲章に反する。だから憲法9条第1項と第2項は矛盾するのでよって第2項を改正すべしとなる。もともと第1項は国連憲章ともあっているのでいじる必要なしという論拠になっている。 第2項の改正ありきからスタートしているので、こじつけの感が否めない。また現実から目をそらした論理で、そもそも国連ができた当時各国は軍隊をもっていてそれを前提で国連憲章を作っているはずで説明にもならない。また国連を含めて世界のどの国から「軍隊がないのはけしからん!」という非難と「軍隊を持て!」という要請が日本に対してあっただろうか? 逆にむしろ否定的であろう。 アメリカ一国を除いては・・・ この普通の国という言葉は安倍晋三もよく使うことばで、かつこの本で述べられていることがそのまま自民党の憲法改悪案になっていることもわかる。 |
5 | 坂元一哉 | 大阪大大学院教授 | 〇 | 「日本の領域、公海とその上空」の限定的な範囲で行使できる法制を求めている。 【正論】大阪大学大学院教授・坂元一哉 集団的自衛権解釈は変更が必要 Sankei WEB2007/05/11 05:07 大阪大学大学院教授 坂元一哉(撮影・友田享助) ■行使の具体的態様は法律で規定する ≪「美しくない」ものを整理≫ 「美しい国」づくりには、世の中に転がるさまざまな「美しくない」ものの整理整頓が欠かせない。 安全保障の分野で言うと、政府の集団的自衛権に関する解釈もその一つ。「持っているが、行使できない」という解釈は、お世辞にも美しいとはいえない。何より、集団的自衛権を「持っている」ので助けてもらうことはできるが、「行使できない」ので助けることはできない、と言っているように聞こえるところが美しくない。 常識的に考えれば「持っている」から「行使できる」か、「持っていない」から「行使できない」のどちらかだろう。ただ「持っていない」と言ってしまうと、安保条約が結べなくなる。安保条約は、国連憲章第51条の集団的自衛権に基づいて成り立つ条約なのである。 安保条約を結べなくては困るので、政府は日本が国際法上、集団的自衛権を「持っている」との立場は崩さない。だが同時に、憲法上「行使できない」とも言うから、「行使できる」米国との間に溝が生じてしまう。 この溝は日本が米国に基地を貸すことで、実利的には埋められている。しかし基地を貸すから後はよろしく、では精神的に溝が埋まらず、長期的には同盟どころか、友好すら危うくなるだろう。 それが分かっているので、ごまかしが必要になる。たとえば安保条約第5条に基づいて、自衛隊が日本国内で在日米軍に対する武力攻撃に共同対処する場合。 この場合、自衛隊の行動は米軍を守る集団的自衛権の行使として説明するのが自然である。しかし政府は、在日米軍への攻撃は日本への攻撃だから、米軍を守るのは個別的自衛権の行使だと説明する。政府関係者の回顧によれば、この説明のみそは、国民には個別的自衛権の行使と説明できるものが、米国には集団的自衛権の行使に見えるところにあるのだそうだ。 ≪戦闘地域と一線画す場所≫ 冷戦後、自衛隊は日本の領域外でも米軍を支援するようになった。そうなるとこんどは、個々の支援活動が武力行使と「一体化」しないから、集団的自衛権の行使ではない、との説明がなされるようになった。たとえば戦闘地域と「一線を画される」公海上ならば米軍に補給支援を行っても集団的自衛権の行使ではないとの説明である。 しかし、戦闘の様相がめまぐるしく変化する現代戦において、海の上に戦闘地域と「一線を画する」線を引くことができるのかと野党に追及されると、政府の説明は苦し紛れになる。ある国会審議では、自衛艦から補給支援を受ける米軍艦船が巡航ミサイルを発射した場合、ミサイルがそのまま目標に飛んでいけば、発射地は戦闘地域になる。途中で人の誘導などにより方向が変えられれば、戦闘地域にならない。いずれにしろわが国は巡航ミサイルを保有していないので確かなことは言えない、という答弁さえ飛び出した。 そんな答弁をするくらいなら、解釈を変えたらよいのにと思うが、それが簡単ではない。長く言い続けてきたものを変えることへの抵抗が根強くあるからだ。これまでの解釈を変えれば、憲法の威信を貶(おとし)めることになるという意見さえある。 おかしな話である。美しくない解釈を続けて憲法の威信を貶める害を無視している。解釈を改めることで貶められるものがあるとしたら、それは政府の威信であって、憲法の威信ではなかろう。 ≪限定的行使を可能にする≫ もちろん、長く続いたものにはそれなりの重みがある。政府の憲法解釈が簡単に変わるのはよいことでない。だが長く続いたから変えられない、が原則になっては、国家の活力は危険なまでに衰えるだろう。それこそ「憲法解釈残って、国滅ぶ」ということにもなりかねない。 私は政府の集団的自衛権解釈は、やはり変更が必要だと思う。持っている権利は基本的に「行使できる」としてほしい。ただ「行使できる」という解釈は憲法をないがしろにして武力行使の際限ない拡大につながる、といった危惧(きぐ)が生じないよう、行使の具体的な範囲や態様は法律で明確に規定する必要がある。 たとえば日本の領域と、公海およびその上空で限定的に行使できるような法律をつくるのはどうだろうか。公海上では後方支援やミサイル防衛などを中心にすればよい。それなら、海洋国家間の同盟である日米同盟の危機対応能力を向上させつつ、海外(他国の領土、領海、領空)での武力行使は避けることができる。(さかもと かずや) (2007/05/11 05:07) |
6 | 佐瀬昌盛 | 防衛大学校名誉教授、拓殖大学海外事情研究所客員教授 | 〇 | 国会に参考人招致された際、現在の解釈を「欠陥」と断定。 「解釈を是正せずに改憲で行使を明記すると、欠陥解釈が現行憲法下の解釈として正しかったことになる」と論じた。 |
7 | 佐藤謙 | 元防衛事務次官、財団法人世界平和研究所副会長 | 〇 | 1997(平成9)年7月1日 防衛局長、2000(平成12)年1月18日 防衛事務次官 1998年3月12日、衆議院安全保障委員会にて 赤松正雄(新党平和)議員のガイドラインに関連しての質問に、「仮にその武力攻撃が自衛権発動の三要件に該当するということであれば、それはまさに自衛権の行使が可能な状況になるということになろうかと思います。」(佐藤謙防衛局長)と答弁。 |
8 | 田中明彦 | 東京大教授 | 〇 | 朝日新聞2000.5.2 「改憲し実質的な安保論議を そして私の改憲論はきわめて簡明なものである。つまり憲法第9条第二項削除のみ、である。」 改憲し実質的な安保論議を 田中明彦(東京大学教授・国際政治学) 日本国憲法について私は憲法改正をするのがよいと思っている。そして私の改憲論はきわめて簡明なものである。つまり憲法第9条第二項削除のみ、である。 いうまでもなく憲法第9条第二項とは、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という条項である。この条項は、良くいってあいまいすぎるし、悪くいえば、自衛隊の現実と一致しない全くの偽善的文章である。 この条項さえ取り去ってしまえば、私は日本の安全保障についての憲法問題はほぼ解消し、安全保障についてより実質的な議論を深めることもできるし、シビリアンコントロールもより効果的になるのではないかと思う。また、事実上無意味ともいえる条項を削除するだけだから、諸外国の不必要な懸念を呼ぶ可能性も少ないと思う。 まず、憲法第9条第一項を変える必要がないのはほとんど自明だと思う。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という条項は、戦前の不戦条約以来の戦争違法化の流れにかなっているし、国際連合憲章の条項と一致している。したがって、これを変える必要はないし、不適切に変更すれば国連憲章違反になるであろう。 問題は、第二項なのである。国際的な常識からすれば、第二項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」というのは、事実にあわない。しかし、現在国民の大多数は自衛隊は必要だと思っている。事実の方を憲法にあわせて変えるべきだという論議は、戦後の歴史の中でおおむね否定されたといってよい。そうだとすれば、条項の方を変えるのが適切だと思う。そして、私の見方によれば、別の条項に変える必要ない。ただ削除してしまえばよい。 第二項削除によって起きる最大の利点は、集団的自衛権行使の禁止をめぐる不毛な議論に終止符を打つことができるということである。政府解釈によれば、日本は主権国家として当然個別的自衛権も集団的自衛権も保持しているが、憲法によって、集団的自衛権の行使は禁じられているという。そもそも、保持しているが行使できないものが権利といえるのかどうか大変疑問である。 それに加えて、政府がこの解釈を厳格に適用しようとしているために、安全保障政策が、著しく法律中心主義になってきたという弊害が生まれている。国連のPKOであれ、ガイドライン関連の日米協力であれ、つねに議論の焦点は、いかなる活動が集団的自衛権の行使にあたるのかに集約してしまった。その結果、そもそも、いかなる状況で国連のために日本が協力するのか、いかなる日米協力が必要なのかといった本質論には目が向けられず、きわめて神学的ともいえるような議論が繰り広げられることになった。 安全保障政策の実質(国際環境の見積もり、自衛隊を含む実働体制の整備、危機管理の方法)についての議論が少ないという意味で、日本のシビリアンコントロールが弱いといってよいのではないか。国会が違憲・合憲を争っている間に、自衛隊の整備や戦略・戦術は防衛庁のみで行われている。そこにいかなる欠点があるかは国会であまり議論されないのである。 そもそも、政府解釈が集団的自衛権の行使は禁止されているとしているため、日本ではあたかも集団的自衛権が悪いものであるかのような認識がある。実際のところ、戦後の国際社会の流れは、どちらかといえば、個別的自衛権による国際紛争対処より集団的措置をとるという方向で動いてきている。集団的自衛権を行使するという形で軍事力整備をする方が、各国が保持する軍事力は少なくてすむ可能性が大きいからである。現実に、日米同盟があったおかげで、日本独自の軍事力はかなり小さいものですんできたのである。 私は日本の安全保障政策の基本を変える必要はないと思っている。日米同盟と軽武装である。しかし、そのための体制を十分整備し、シビリアンコントロールを充実させるためには、不毛な法律論議には終止符をうつ必要がある。また、憲法改正が国際的に注目されるとすれば、それはできるだけ簡明な方がよい。その一つの方法は、憲法第9条第二項の削除である。この条項を削除しても、日本国憲法の精神は代わらない。平和憲法は依然として平和憲法である。 (出典)朝日新聞2000.5.2 |
9 | 中西寛 | 京都大教授 | 〇 | Sankei WEB 【正論】真珠湾への道 日米開戦65年(1) ■4つの「跳躍」が導いた戦い 【正論】真珠湾への道 日米開戦65年(1)京都大学教授・中西寛 京都大学教授 中西寛氏(撮影・塚本健一) ■4つの「跳躍」が導いた戦い ≪新戦術の「跳躍」≫ 65年前の12月に行われた日本軍による真珠湾攻撃は、日本にとって何重かの意味で「跳躍」であった。 まず、真珠湾は「軍事的跳躍」、ないし飛躍であった。艦載航空機を用いた雷撃によって敵主力部隊に奇襲攻撃をかけるという発想はそれまで世界にない戦術であった。この戦術を着想し、実行に移したのは山本五十六連合艦隊司令長官であり、彼の強い信念がなければこの作戦は実行に移されなかったことはまず間違いない。 ただ前提として日本はこの攻撃を可能にする兵器とそれを使いこなす高度の技量を備えた兵員の養成に成功していた。それは、軍事的には真珠湾作戦の成功は日露戦争における日本海海戦と並んで、明治以来の強兵策の成果の頂点であったということができる。事実、真珠湾攻撃の報を聞いて、日露戦争の勝利を想起した人も当時少なくなかった。 しかし第2に、真珠湾は日本の政治的選択としては「死への跳躍」であった。この点では日露戦争と全く異なる。日露戦争では軍事戦略は政治戦略の下に置かれ、開戦時から終戦が意識されていたが、真珠湾攻撃は乾坤一擲(けんこんいってき)の作戦であり、先に見通しのないまま「死中に活」を見いだそうとする賭けであった。真珠湾攻撃の際にもZ旗を使用し、作戦後に特殊潜航艇の戦死者を「軍神」に指定するなど、日露戦争への郷愁を意識している。それは日露戦争以降成長せず、むしろ退化した政治指導力の弱さをイメージ戦略によって補償しようという意図が働いたのではあるまいか。 ≪じり貧・どか貧≫ 当時の日本は政府、陸軍、海軍が互いに異なる構想を持ち、しかもそれぞれの内部にも対立を抱えていた。昭和15年から翌年の開戦にかけての政策形成過程を分析すると、松岡洋右外相が主導した三国同盟外交、陸軍の北守南進論、北進論から南進論への転換、海軍の和戦両様の対米戦略構想が組み合わさって、最終的には日本指導層内の誰もが消極的だったアメリカとの抜き差しならない対決に自らを追い込んでいったことが分かる。 15年7月、第2次近衛文麿政権発足直後に決定された「世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱」においては、「まず対独伊ソ施策を重点」とすることとされ、「米国に対しては(中略)已むを得ざる自然的悪化は敢て之を辞せざるも常に其の動向に留意し我より求めて摩擦を多からしむるは之を避くる如く施策す」と対米関係の優先順位は低く、事を構えることを回避しようとしていた。 しかし翌年9月、第3次近衛政権の下で決定された「帝国国策遂行要領」においては「帝国は自存自衛を全うする為対米(英蘭)戦争を辞せざる決意」が確認され、アメリカを主敵として開戦の意思が確認されている。この変化をもたらした最大の要因は2カ月前に行われた南部仏印進駐とそれに対するアメリカの石油禁輸措置だったわけだが、前年の北部仏印進駐に対してもアメリカはくず鉄、鉄鋼等の対日禁輸制裁を発動しており、南部仏印への進出に伴うアメリカの制裁強化は予想不可能な事態ではなかった。しかし6月の独ソ戦開始に慌てた政府、軍部は南方資源確保を優先し、日米交渉で妥協を見せないアメリカへのいらだちの高まりもあって、安易に南部仏印進駐を決めてしまったのである。よく言われるように「じり貧」状態に嫌けがさして「どか貧」を覚悟して進めたのが対米開戦であり、結果はまさにその通りになった。 ≪アジアのリーダー≫ 第3に、真珠湾攻撃は日本の「アジアからの跳躍」を意味していた。日露戦争以降、日本は大陸帝国の道を歩み、その支配下に異民族を抱えるようになった。それは尊皇主義を精神的支柱として構築された明治国家体制の予期せざるところであり、その矛盾が次第に政治的重荷となっていった。同時に日本の大陸帝国化は、中国、ソ連とじかに国境を接し、絶えざる緊張を強いられるという、日本史上においても例外的な経験となった。こうした帝国内外に存在する摩擦が徐々に日本の体制を弱体化し、張作霖爆殺から満州事変へと至る関東軍の謀略と軍人によるクーデター事件をもたらした構造的な原因であったといえる。 そうした矛盾の結果、到達したのが日中「事変」であった。それはまさに「事変」であり、戦争ではなかった。日本も蒋介石政権も譲歩して和平する意思はなかったが、またこれを国際法上の「戦争」として戦う意思もなかった。日本は中国南部では国民党軍と戦い、戦闘では負けなかったが蒋介石政権に自らの意思を押しつけるすべは持たなかった。北部では毛沢東率いる共産軍とゲリラ戦を戦い、ここでも日本は負けてはいなかったが共産軍は勢力を伸ばし、日本が勝てる見通しはたたなかった。 のみならずそれは日本人にとって説明のつかない状況であった。アジアのリーダーたらんとする日本がなぜ中国の蒋介石政権と戦っているのか、また、立派な軍隊を持つ日本がなぜ蒋介石政権を屈服させられないのか。こうした感情を吹き払い、まさに相手にとって不足のない「敵」こそアメリカであり、文学者の長与善郎が書き残したように、真珠湾攻撃は「我らの頭上に暗雲のごとくおおいかぶさっていた重苦しい憂鬱(ゆううつ)」を吹き飛ばしてくれたのであった。 ≪宿命の日米対決≫ 最後に、真珠湾攻撃は「アメリカへの跳躍」であった。ペリー、ハリスの来航以来、日本にとってアメリカは太平洋を隔てた強国であった。しかしその後、アメリカは南北戦争の後遺症で苦しみ、日本はイギリス、ロシアなど欧州列強とアジアで帝国主義のゲームに従事してそれなりの地歩を獲得した。20世紀に入ってアメリカは門戸開放政策を掲げてアジアへの復帰を図ったが、日本はアメリカと正面から対峙(たいじ)することを回避していた。が、グローバルな超大国の道を歩むアメリカと、アジア太平洋の地域的覇権をめぐっていずれかの段階で決着をつけることは宿命であったのかもしれない。 上述のように政策決定のレベルでは指導層は対米戦を回避しようとしていたが、歴史的、構造的には日米対決の流れは存在した。そして必死に戦うことによって、敵同士は理解を深めることもあるのである。アメリカは日本に勝つために必死に日本を研究したし、日本は敗戦後、アメリカから学ぶことをためらわなかった。その意味で、真珠湾は日米同盟に向かう重要な礎石としての意味ももっていたのである。(なかにし ひろし) (2006/12/01 05:04) |
10 | 西 修 | 駒沢大教授 | ? | 著書『日本国憲法を考える』日本国憲法は世界的にも新しく、また世界で唯一の平和主義憲法である」といった類の“神話”が自由な議論を妨げてきた。実際には、世界で15番目に古く、また、120以上もの国の憲法が平和主義条項を備えているというのに・・・。広い視野から現行憲法のかかえる問題点を指摘し、新しい時代にふさわしい憲法を提示する。 |
11 | 西元徹也 | 元統合幕僚会議議長、NPO法人日本地雷処理を支援する会会長 | 〇 | 「21世紀の日米同盟:その具体的な形をさぐ る」 第7章:憲法・有事法制 4 坂元先生もおっしゃった非常に重要な問題ですが、平常時における危機の予防、危機時における危機の拡大防止と早期収拾に寄与するとともに、国際的な安全保障共同行動に積極的に協力していくための「集団的自衛権の行使」、あるいは「海外における限定的な武力の行使」、および「国連の集団的措置への参加」といったようなことを容認して、その条件を規定することだと考えます。 |
12 | 村瀬信也 | 上智大教授 | ? | 著書『武力紛争の国際法』冷戦の終結は世界の武力紛争を終わらせることはなかった。国際テロリズム、大量破壊兵器の拡散、不審船・工作船の出没、内戦・復興・平和維持活動に伴う諸問題等、現代の紛争に適切に対処するため、今こそ伝統的な戦争法を越えた新たな国際法の知見が不可欠だ。わが国学界の総力を結集した初の本格的研究・体系書。 現代の紛争に適切に対処するため、今こそ伝統的な戦争法を越えた新たな国際法の知見が不可欠。 |
13 | 柳井俊二 | 前駐米大使、国際海洋法裁判所判事 | 〇 | 「世界週報」2004年7月13日号で、 日本周辺海域で米艦船が攻撃を受けた場合を念頭に「自衛隊がこれを助けたら憲法違反だと言われかねない。不合理なことだ」 |
C 主張する外交で「強い日本、頼れる日本」 (1) 「世界とアジアのための日米同同盟を強化させ、日米双方が「ともに汗をかく」体制を確立。この政権構想を読んだのが2006.9.3だった。強烈な印象があったのであえて朱文字にしたぐらいだった。
経済分野でも同盟関係を強
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ほかのページへのリンク:(下)中国を疲れさせる耐久力と気概を 西原正氏×岩間陽子氏
【平成25年 新春正論対談】2013.1.5 14:37(1/4ページ) こちら
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西原正・平和安全保障研究所理事長(左)と岩間陽子・政策研究大学院大学教授(財満朝則撮影)
岩間 尖閣というのはもちろん日中間の大問題なんですけど、中国は尖閣にだけ圧力をかけているわけではなくて、南シナ海などにも勢力圏を広げようとしています。それに対する反発が結構広がってきているわけですから、日本はASEANの場や他の国際会議の場で、国際法にのっとった解決を主張していくような外交力をつけていかないといけないと思いますね。
−−そうですね
岩間 あまり近視眼的なナショナリズムでカッカとなってしまうようなスタイルは、私は日本にとって賢明な戦略ではない気がします。尖閣は、中国が国際社会にどう関わっていくかを示す問題であるとアピールしていくことが、日米同盟の中でアメリカが日本を支援しやすくし、また東南アジアの諸国とうまく連携できるやり方だと思います。
韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が竹島に上陸しましたが、ナショナリスティックなシンボル操作は、国内的に受けがよくとも、国際的には冷静さを欠いていると見られかねません。やはり日本としては、大人の戦略をもってやらなければならないと思っているんですが。
ところで、30年後の中国は民主主義国家になっている可能性はあるんでしょうか。
西原 どうなっていますかね。
岩間 ソ連の崩壊と比較すると、似たような面もありますよね。ソ連がすごく弱っていったのは、1970年代にIT産業などが伸びてきて西側社会が変わっていったのに対して、重たい産業構造から脱却できず、東欧や国内の市民の中産階級の生活を向上させる力がなかったからです。それで東欧も離れていき、国内の人心も離れていったことがあったと思います。
中国は低い経済水準から始まって、近年、都市部の人々の生活は急速に良くなったが、貧富の差がものすごく拡大しました。農村部では30年前と同じような生活をしている人もいっぱいいます。それに民族問題も抱えている。法輪功などを弾圧しているのは、やはりそれが怖いからだと思います。中国にはそうした運動を通じて社会運動が起き、王朝が転覆されることは何度も起きています。近代的な中産階級が支える国であったことは一度もないわけです。近代化のひずみによって生じた不満が、大きなうねりに転ずる可能性は否定できないと思います。
西原 本当に先は読みにくいが、10年以内に何か大きな社会変化が起きそうな気はしますけどね。今の腐敗とか格差がさらに深刻化しながら、共産党体制がこのまま続くように思いません。よっぽど政府が上手に格差を縮めるとか、官吏の汚職を抑えるとか。それが目に見えて進んでいなかったら、何かが起きそうな気がします。経済力だって維持が難しくなれば、社会不満は今よりも増大するでしょう。とくに中国のツイッター(微博)の大普及が政治問題を含む社会問題に対しての自由な政府批判の場を提供していることで、共産党体制を揺るがすことになるような気がします。
ただし、東シナ海では中国は尖閣に集中的に公船、艦船、航空機などを派遣してくるでしょう。尖閣周辺に中国の公船が来て、嫌がらせをずっとやると思うんです。たぶんこの10年ぐらいは続く。船をどんどん持続的に送って、最終的に日本人を疲れさせる。これが彼らのやり方だと思うんです。中国共産党の伝統的持久戦ですね。日本はこれに耐え、逆に相手を疲れさせる耐久力と気概を持って対抗すべきです。それが長い目で見てアジア・太平洋地域の安定につながると思います。
プロフィル】西原正
にしはら・まさし 昭和12年、大阪府生まれ。75歳。専門は国際政治、東アジアの安全保障。京都大学法学部卒業、米ミシガン大学大学院政治学研究科博士課程修了。政治学博士。京都産業大学助教授、同教授を経て、防衛大学校教授。平成12年に防衛大学校長就任。18年から現職。産経新聞「正論」執筆メンバー。20年に瑞宝重光章受章。主な著書、編著に「戦略研究の視角」「国連PKOと日米安保」「台頭するベトナム」「日米同盟Q&A」「日米同盟再考」などがある。
【プロフィル】岩間陽子
いわま・ようこ 昭和39年、兵庫県生まれ。48歳。専門は国際政治、欧州安全保障。京都大学法学部卒業。同大学院修士課程、同大学院博士後期課程修了。法学博士。在ドイツ日本大使館専門調査員を経て、平成12年に政策研究大学院大学助教授、21年から現職。著書に「ドイツ再軍備」、共著に「冷戦後のNATO」「日米同盟とは何か」「ヨーロッパ国際関係史」などがある。