「袴田事件」再審決定 袴田 巌元被告、東京拘置所から釈放(14/03/27)
1966年6月、一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」で、静岡地裁は27日、証拠がねつ造された可能性にまで言及し、裁判のやり直しを決定した。 これを受けて袴田 巌元被告(78)は午後5時20分ごろ、東京・小菅の拘置所から釈放され、自分の足で歩いて車に乗り込んだ。 (03/27 17:36)
証拠の全面開示に踏み切れ
犯人を仕立て上げ、描いた構図が崩れそうになると証拠まで改ざんする。昨年発覚した大阪地検特捜部の証拠品改ざん事件では、信じられないような特捜捜査の実態が明らかになったが、四十年余りにわたって警察による証拠の捏ぞう造が疑われながら、いまだに決着していない事件がある。
静岡県清水市(現静岡市清水区)で一九六六(昭和四十一)年、みそ製造会社の専務一家四人が殺害された「袴田はかまだ事件」だ。
捏造疑惑強まる
静岡地裁で続く第二次再審請求審が昨年、大きく動き始めた。静岡地検が五月、ずっと門外不出″にしてきた証拠の開示方針を打ち出し、九月に一部の証拠を開示した。
それらを検証した弁護団が十二月、捏造の疑いを強める新証拠が明らかになったとして、静岡地裁に補充書を提出した。
開示証拠の中で、弁護団が特に注目しているのが、元プロボクサーでみそ製造会社従業員だった袴田巌いわお死刑囚(七四)が犯行時に着用していたとされる血の付いた衣類のカラー写真。ズボンやブリーフなどの衣類五点は、事件が発生して一年二カ月後の公判中、従業員が偶然、工場のみそタンクの底から発見したとされ、有罪判決の決め手にもなった。
カラー写真の中の衣類には、赤い血痕が鮮明に映っており、弁護団は「みそタンクの中にずっと入っていたのに不自然だ。発見される直前に、タンクに入れられた可能性が濃厚だ」と主張する。弁護団の実験で、血液を付着させた衣類をみそに漬け込んだところ、短期間でみその色と混じり合って不鮮明になったという。
衣類五点が発見された数日後、袴田死刑囚の実家から見つかったとされるズボンの端切れの出所もかなり怪しい。
この端切れはみそタンクのズボンと一致すると鑑定されたが、開示された静岡県警の捜査報告書から、端切れが発見される前に捜査員がズボンの製造元から同じ生地のサンプルを入手し、さらに発見後も再びサンプルを受け取っていたことが判明したという。
あくまで弁護側の主張とはいえ、これだけ疑惑があれば今の裁判員裁判なら、「疑わしきは被告人の利益に」にのっとり、かなりの確率で無罪判決が出るだろう。事実、一審静岡地裁で死刑判決にかかわった元裁判官が二〇〇七年、無罪の心証だったと告白し、再審請求の支援活動に加わっている。そして大阪地検特捜部の証拠品改ざん事件の発覚によって、袴田事件の「現代性」をかぎ取っている人は多いはずだ。
大阪地検特捜部の事件を受け、最高検は昨年十二月、内部検証の報告書を公表し、再発防止策の目玉として特捜事件の取り調べの一部録音・録画(可視化)を試行する方針を打ち出した。だが、法曹関係者などから「都合のいい場面だけを録音・録画して証拠とするのは、かえって有害」と批判が集中している。
都合のいい選択
袴田事件でも、証拠の開示・非開示の判断を委ねられた検察側が、自分たちの都合のいい証拠しか出してこなかったことが事件の長期化を招く大きな要因になったのは間違いない。二〇〇八年四月から始まった第二次再審請求審でも当初は「再審請求段階の証拠珂示は法的根拠が薄い」と、弁護団からの証拠開示の申し立てを突っぱねてきた。
かたくなな態度が変化したのは、栃木県足利市の「足利事件」の再審で、菅家利和さんの無罪が確定した昨年三月以降だ。静岡地検は「裁判所からの提出命令や勧告がなくも、開示できる証拠は出したい」と方針転換をしたが、それでも開示したのは一部にすぎない。
地検幹部は「事件からかなり時間がたっているので、証拠があるかないかも含めて調べており、開示には時間が必要」と説明する。
弁護団によると、地裁を交えた協議の場で、担当検事は「公益の代表として証拠を開示する、開示しないは検事の自由」と発言したというが、「公益」の意味をねじ曲げているのではないか。証拠は検事が有罪を立証するためのものではなく、有罪か無罪かを判断するためのものだ。
次回協議は二月二十五日に予定されている。検察側は証拠を小出しにすることなく、証拠の全面開示に踏み切ってほしい。それが公益にかなうと私は考える。
静岡地検から新たに開示された衣類の写真を掲げる弁護団の小川秀世弁護士=昨年9月、 静岡市の静岡県弁護士会館で
袴田事件の謎を追う NNNドキュメント92