++ 冤罪事件 植草一秀氏 ご帰還、ご無事でなりよりでした (2009年8月3日午後1時30分収監)「植草一秀教授は無実だ」、真相隠す大きな力++


2009.10.5 2009.10.1 2009.9.24 2009.9.2 2009.8.7 2009.8.4 2009.8.2 2009.7.4 2009.6.22 2007.8.19初版

【 冤罪 】 植草一秀氏 ご帰還、ご無事でなりよりでした

植草氏のサイトより引用します。2009年10月5日(月) --> こちら  新着ニュース
皆様のご支援とご厚情に深く感謝申し上げます

昨日、勾留地より、無事帰還を果たしました。多くの皆様にご支援、ご心配、激励を賜りましたことに衷心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
不在中におきましても、本ブログを熱烈にご支援賜りまして誠にありがとうございました。また、多くの皆様から激励のお便り、お言葉を頂戴いたしまして感謝の気持ちに堪えません。
無実潔白の人間に対して、このような形で公権力が行使されたことに、強い憤りを感じます。
しかし、この世には無数の不条理と理不尽とが横たわっており、その一端を学ぶ機会を天が私に与えたものと理解しております。
この意味において、勾留地においては極めて濃密で充実した時間を過ごさせていただきました。極めて充実した意義深い時間を持つことができましたことに感謝しております。
この期間に設定された総選挙においては、政権交代を目指す旧野党勢力が圧勝し、見事に政権交代実現の大業を成就いたしました。本ブログをご支援下さる皆様とともに、この大業成就の喜びを分かち合いたいと思います。
しかし、政権交代はゴールではなく、あくまでもスタートに過ぎません。この政権交代に確固とした魂を吹き込んでゆくことが不可欠だと感じております。政権交代を阻止しようとした勢力は現在も存在し続けており、今後、さまざまな手段を用いて新政権を攻撃してくるものと予想されます。
このたびの政権交代は、55年体制成立以来60余年、大日本帝国憲法発布以来120年、明治政府樹立以来140年にわたって持続した「この国のかたち」を刷新する意味を伴っていると考えます。さらにさかのぼれば、江戸時代に確立した日本の階層構造=1600年体制の刷新の意味さえ含むものと思います。
歴史的な大改革である以上、改革実現に時間と忍耐を必要とすることは言うまでもありません。まずは4年間、大改革の礎石を築くことが優先されなければなりません。その実現のためには、どうしても2010年の参議院選挙で今回の歴史的転換の流れを維持しなければなりません。
旧勢力に支配されている大多数のマスメディアが、あらゆる手段を用いて抵抗を示すことが予想されるなかで、私たちは冷静に現実を見つめて、新しい流れを、正しい方向に誘導してゆかなければならないと思います。
微力ではありますが、私も自分にできることを見つめて、尽力して参りたいと考えております。
勾留期間中に考えてきたことがあり、今後の活動方法を変更いたしたく思います。まずは、今回の政権交代の意味について、文章として整理し、何らかの方法で世に問うことを検討しております。
その関係で、ブログでの論考掲載の時間的間隔が大きくならざるを得ないと予想しており、この点につきましてご理解を賜りたく存じます。
今後の活動方針につきましては、改めて本ブログに掲載して参る予定ですので、何卒ご高覧賜りますようお願い申し上げます。
なお、発行を中断しておりました『金利・為替・株価特報』につきましては、10月上旬号より発行を再開いたしたく存じ上げます。ご購読の皆様には、大変ご不便をおかけしましたことに深くお詫び申し上げます。新政権の政策運営にも寄与するべく、内容充実を図って参る所存ですので、多くの皆様のご講読を謹んでお願い申し上げます。
この間、多くの皆様から身に余る、言葉には尽くせぬお力を賜って参りました。誠に略儀ではありますが、この場をお借りして、心より厚くお礼申し上げます。何卒今後とも変わらぬご指導とご鞭撻を賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。
取り急ぎ皆様へのお礼の言葉とさせていただきます。


植草氏のサイトより引用します。獄中2009年9月18日執筆 --> こちら
2009年10月 1日 (木)
『亀井静香郵政担当相のらつ腕に期待する日』

鳩山新政権の郵政担当相兼金融相に国民新党の亀井静香氏が就任した。国民新党はこれまで党を挙げて「郵政民営化の見直し」を訴えてきた。民主、社民、国民の連立与党は8月30日の総選挙に際して「郵政民営化見直し」を公約に掲げており、総選挙で320に近い議席を得たのだから「郵政民営化見直し」は当然だ。
小泉竹中政権は2005年9月の総選挙に際して郵政民営化を実現さえすれば世の中のすべてが良くなるとの主張を展開した。ところが現実は正反対だった。社会は荒廃し、地方の衰退は目を覆う状況になった。その評価が今回の総選挙の結果に反映されたのだ。
郵政民営化では、郵便、郵便局、貯金、保険に四分社化し、ゆうちょ銀行とかんぽ生命の全株式を売却し、郵便と郵便局を傘下に持つ日本郵政株式の3分の2を売却することとされてきた。
仮に外国資本がゆうちょ銀行とかんぽ生命株式の過半を取得すれば300兆円の資金を手にできることになる。一方、外国資本が日本郵政株式の過半を取得したのちに、採算の悪い郵便事業を大量の人員とともに国に返上してしまえば、日本最大級の不動産会社を手中に納められる。
不自然な四分社化の背景にこのような策謀が巡らされていた可能性が高い。通常国会で表面化した「かんぽの宿」疑惑も重大だ。時価評価が1000億円を超すと見られる国民財産が極めて不透明な手続きを経てオリックス不動産に109億円で売却されようとしていたことが判明した。
事業用資産の場合、赤字の事業収支を基準にして、収益還元法で鑑定評価を行うと著しく低い鑑定評価額を「創り出す」ことが可能になる。「かんぽの宿」の場合、この手法が悪用された可能性が高い。
この問題はすでに東京地裁に刑事告発され、受理されているが、亀井静香新大臣も刑事告発の当事者である。日本郵政の不動産売却の闇は深い。真相の全容解明と責任追及が不可欠だ。
特定郵便局のネットワークは地域の貴重な財産である。将来、市町村合併により、30〜40万人規模の基礎自治体を整備することになれば、特定郵便局ネットワークは地域住民への行政サービスを提供するために強力な拠点になりえる。
金融相を兼務する亀井新大臣のらつ腕を大いに期待したい。
2009年9月18日執筆

獄中、2009年9月5日執筆 --> こちら
2009年9月24日 (木)
『日米基軸外交を基礎に置く鳩山新政権』

鳩山由紀夫次期内閣総理大臣の米誌への寄稿が話題を寄んでいるという。「対等な日米関係」と「アジア重視」は正論である。鳩山次期総理が目指している方向は「対米隷属外交」から「日米基軸外交」への転換であって過激なものではない。
それでも今なお日本を敗戦国と見なす米国の一部の支配者層は鳩山氏の唱える「対等な日米関係」指向を快く思わないのだと考えられる。第二次大戦以降の日本政治史を振り返ると、米国の対日支配姿勢が明瞭に読み取れるからだ。
1946年4月10日に実施された戦後初の総選挙の結果、本来首相の地位に就くはずだったのは鳩山一郎氏だった。ところがGHQの公職追放により、吉田茂外相に組閣の大命が下り、吉田茂氏が首相に就任した。
しかし、春名幹男氏によれば、吉田茂氏に対しても公職追放の主張がGHQ内部に存在した。当時GHQと公職追放の交渉にあたったのは吉田外相自身であった。吉田氏はGHQ・G2(参謀第2部)との交渉の末、追放を免れたと見られている。G2は戦後民主化から冷戦開始下での「逆コース」=「レッドパージ」を主導した中心勢力である。
1947年5月発足の片山哲内閣、1948年2月発足の芦田内閣は昭電疑獄拡大によって内閣総辞職へ追い込まれた。この昭電疑獄にもG2が深く関わっていると考えられている。
その後に吉田茂氏が首相に返り咲き、日本が米軍に基地を提供することを基礎に置いて1951年9月にサンフランシスコ講和条約が締結された。
悲劇の政治家と呼ばれた鳩山一郎氏は追放から解除され、1954年12月に首相に就任し、1956年10月、日ソ国交回復共同宣言を成立させた。鳩山氏は日ソ国交回復を花道に引退し、後継首相には石橋湛山氏が就任した。
石橋首相は「自主外交の確立」を掲げたが2ヵ月後に病気で辞任し、後任に米国に「支援」された岸信介氏が首相に就任し、1960年に新日米安保条約に調印した。米国が鳩山政権、石橋政権に強い警戒感を有していたことは多くの米国外交文書が明らかにしている。
田中角栄元首相がロッキード事件で失脚した背後にも米国支配層の意図が存在するとの指摘もある。
2005年9月の総選挙で大勝した小泉政権を主要メディアが絶讃した状況と比較して、今回の総選挙で大勝した民主党に対する主要メディアの「アラ探し」の基本姿勢は明らかに異なっている。
国民は鳩山政権を支えて日本の真の独立を確固たるものにしなければならない。
2009年9月5日執筆
 
副島氏のサイトの「1066」から一部引用します。 --> こちら
実は、私宛てに、昨日の午後、植草氏から、連絡がありました。
  植草一秀氏から、本日、8月28日に、私 に届いたお手紙で、私たちの学問道場で、是非、公開してほしいと、氏本人から頼まれました。
  植草氏からの伝言は以下のとおりです。
   植草氏は、現在、 獄中(刑務所)に在りますが、健康状態は良好だそうです。

 あと一か月と 少しで出所します。そうしましたら、すぐに、私は彼と一緒に動き出して、まず、植草氏の汚名をそそぎ、急いで名誉回復の運動を始めなければいけない、と考 えています。そのために新政権の既知の政治家たちに、植草事件(痴漢冤罪)の政治謀略の真実を追求するための特別委員会を設置してもらうために動こうと思 います。 私は小沢一郎に、植草氏を伴って直訴しにゆきます。

 いまだに本国民の中にある、「植草氏にも落ち度があるのではないか」という疑問に対して、今度、別の日に、私が再度、証拠だてて、はっきりと書きます。


「植草一秀の『知られざる真実』」ブログより引用しています。 --> こちら から
植草一秀氏の刑事事件弁護団声明
2009年8月3日

 最高裁第三小法廷は,植草一秀氏に対する東京都迷惑防止条例違反被告事件について,平成21年6月25日上告を棄却し,植草氏が異議を申立てましたが,同年7月6日異議申立は棄却され,懲役4ヶ月,未決勾留日数60日参入の実刑判決が確定しました。
本日,植草氏は,午後1時30分に,東京高等検察庁に呼び出しを受け,収監されました。

 植草氏は逮捕されて以来,現在に至るまで,一貫して自分は犯人ではないと無罪を訴え続けてきました。
   痴漢事件では,誤った被害者の供述によって,無実の者が逮捕され犯人に仕立て上げられる危険性が高いことは周知のとおりです。
   本年4月14日の防衛医大教授逆転無罪判決では,同じ最高裁第三小法廷が「本件のような満員電車内の痴漢事件においては,被害事実や犯人の特定について物的証拠等の客観的証拠が得られにくく,被害者の供述が唯一の証拠である場合も多い上,被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合,その者が有効な防御を行うことが容易ではないという特質が認められることから,これらの点を考慮した上で特に慎重な判断をすることが求められる。」との判例を出したばかりです。
   本件では,被害者の供述や目撃者の供述に数多くの矛盾点があり,信用性が低いばかりではなく,弁護側目撃者の証言によって,植草氏が痴漢犯人でないことが明らかになりましたが,裁判所は,これらの供述や証言について「特に慎重な判断」をしませんでした。

 本件では,犯人が被害者に,後ろから密着して,手指で被害者の着衣を撫で回したという被害者供述から,植草氏の手指,ネクタイ,背広に,被害者の着衣の構成繊維が付着していないかの繊維鑑定が科捜研でなされました。
   この鑑定結果では,植草氏の手指とネクタイから「つよい青色」「さえた青色」「あかるい青色」の被害者の着衣の構成繊維と「色調が類似した獣毛繊維」が数本検出されたとされています。

  しかし,「つよい青色」等の主観的で曖昧な表現の鑑定では,「繊維の異同」の科学的な識別ではありませんし,また,繊維の色を科学的に識別できる顕微分光光度計による鑑定はなされておりませんので,「色調が類似した獣毛繊維」が数本検出されたと認めることはできません。
痴漢事件では被害者の着衣に触ったとされる手指に付着した繊維の鑑定をすれば十分な証拠とされているのに,本件では,植草氏の手指の鑑定で「類似の繊維」が検出されなかったからこそ,ネクタイや背広に,被害者の着衣の構成繊維が転移し付着していないかとして,次から次へ,同種事案では通常行われていないネクタイや背広の繊維鑑定を続けたことからも,植草氏の手指やネクタイから 被害者の着衣の構成繊維に由来すると認められる繊維が,全く検出されなかったことが判ります。

   裁判所も1審判決で「これらの付着していた各繊維は前記スカートに由来すると判定されたものではなく,他に由来する可能性も否定できるものではない。」と,被害者の着衣に由来すると認定できないことを認めています。
  被害者の着衣に触れば付着するはずの繊維が,植草氏の手指,ネクタイ,背広に付着したと認められなかった3回もの繊維鑑定結果から,植草氏が被害者の着衣に全く触っておらず,植草氏が犯人ではなく,冤罪であることが明かです。

 裁判員裁判時代を迎えた今日,供述証拠のみに頼る裁判には冤罪の危険があり,客観的証拠による裏付けが必要なことは,上記最高裁判例の説くところです。
  しかし本件では,最高裁判所も,「物的証拠等の客観的証拠」がないのに,被害者供述等を「特に慎重に判断」することなく,本件が冤罪であることを認めませんでした。

 植草氏は,本日,収監されましたが,再審請求も視野に入れて,今後も本件が冤罪であることを訴え続けて行く所存です。植草氏は,そのブログにおいて「(執行中の)身の安全を心配して下さる声を多数賜り,大変ありがたく思う。私は自殺しないことをここに宣言する。」と記しています。
   刑事事件弁護団は,植草氏が刑の執行を安全に終了の上,これまでどおりの活発な活動を続けていくことを心から期待しております。

                       植草一秀氏刑事事件弁護団
よろしかったら、植草さんお留守中のブログ・ランキングUPに、ご協力ください。 --> 植草さんのブログ・ランキングへ


    『売国者たちの末路  私たちは国家の暴力と闘う』 副島隆彦/植草一秀著     
1章 世界史の転換が起きている
2章 破裂した金融爆弾
3章 売国の構図
4章 国家の暴力
5章 売国者はこうしてつくられる
6章 国策捜査、暗黒国家
7章 地獄へひた走る世界経済

売国者たちの末路baikokuMaturo_s.jpg

 以下は、これまでに植草氏と植草事件に関わることを取り上げたブログ・エントリーです。

   ■ 植草一秀氏  ご帰還、ご無事でなによりでした  --> こちら 2009.10.5 新着記事
   ■ 検察が差し出す証拠、信じていいですか  --> こちら 2009.8.3
   ■ ほくそ笑んでいたものたちに、終止符!  〜いよいよ大掃除のときです 〜 『 売国者たちの末路 』を読んで  --> こちら
   ■ 目から鱗の価格システム 〜 植草一秀氏が提案する コンビニ革命 〜  --> こちら 2009.7.4
   ■ 自公政権が終わったときに、引っ張りだこになる本「知られざる真実―勾留地にて―」  --> こちら 2009.6.7
   ■ 地殻変動も軌道修正も大歓迎 〜国民がハッピーになれるなら  --> こちら 2009.6.5
   ■ ブログランキングあれこれ  〜植草一秀の『知られざる真実』〜  --> こちら 2009.3.17
   ■ 事件の本質を誤魔化しちゃダメ  --> こちら 2009.3.16
   ■ でたらめを言わざるをえなかった 石井議員刺殺犯 獄中の告白  --> こちら 2009.2.21
   ■ 時事放談 ・野中広務 鳩山邦夫 「かんぽの宿」  --> こちら 2009.2.20
   ■ 政権移行前夜の喧噪  --> こちら 2009.2.13
   ■ ずっと闇の中で封印されて来たものがあらわになる 〜政権交代〜  --> こちら 2009.2.4
   ■ 出来レースに群がる輩たち  いよいよ小泉も最後   --> こちら 2009.2.3
   ■ 外貨準備高が大きく膨らんだ 竹中平蔵財務・金融大臣兼務後  --> こちら 2009.1.2
   ■ 第一自民党+第二自民党⇒新生自民党・・ではダメなんだけど  --> こちら 2008.12.7
   ■ 迷探偵コナン 秋の夜長 謎解きにチャレンジ  --> こちら 2008.11.5
   ■ ココログの不審な挙動  --> こちら 2008.11.3
   ■ エントリーを引っ込めざるを得なかった?  --> こちら 2008.11.1
   ■ 不撓不屈  そこに無償の支援 --> こちら 2008.10.27
   ■ ちぇんじ  海の向こうもChange? --> こちら 2008.10.25
   ■ あきらない 未来を掴むことに --> こちら 2008.6.7
   ■ 小泉がもっとも恐れる男 --> こちら

「植草一秀教授は無実だ」、真相隠す大きな力 PJニュースからの抜粋
    「植草一秀教授は無実だ」、真相隠す大きな力(1)
05年7月、都内でPJニュースのインタビューに答える植草一秀氏(撮影:小田光康)
【PJ 2007年08月16日】2007年08月16日10時51分− 経済学者の植草一秀氏は2006年9月13日に起きた痴漢事件の罪に問われ、大学を解雇されている。8月21日に弁論終結を迎えるが、マスコミは依然問題 を何一つ取り上げない。事件の不可解さと、これまでの公判で明らかになった矛盾点を7月16日のPJニュース「『植草一秀教授は無実だ』、検察が矛盾とわ たしは見る」で指摘した。今5回連載では、前回の記事で触れなかった問題点を紹介する。そこから浮かび上がるのは、事件の真相を隠そうとする大掛かりな力 の存在である。

被害者と逮捕者の関係は?
  植草氏の容疑は午後10時すぎ、京浜急行下り列車内で女子高校生の尻を触ったとされるもの。報道によれば、被害者が「やめてください」と声を上げたため、異変に気付いた男性2人が植草氏を取り押さえ、駅事務室に連行した。

  注目すべきは7月4日の第9回公判で、目撃者が被害者とされる女子高生と取り押さえた男性の一人が知り合いのように見えたと証言していることである。この目撃者は事件のあった電車に偶然乗り合わせ、「テレビで事件を知り、協力したい」と名乗り出た男性である。

  06 年12月20日の第2回公判では検察側目撃者が、取り押さえた男性のことを「私服」と呼んだ。この「私服」と呼ばれた男は3月28日の第6回公判で、植草 氏を捕まえるとき首が絞まらないようネクタイ2本を両方つかんだと証言している。これは訓練された人間でなければできない発想ではないか。

  検察側目撃者は電車内で取り押さえたのは一人だったと証言するが、植草被告と初期報道、第9回公判目撃者の証言は「2人」で一致する。被害者と知り合いの男と、捕まえた男(私服警官か)が関係していた可能性もある。

検察側目撃者の相次ぐ証言矛盾
  第2回公判で検察側が連れてきた目撃者の証言には矛盾が多い。前回の記事では、電車内での立ち位置関係や友人にメールした携帯電話のバッテリー残量について指摘した。

  立ち位置については、被害者と植草氏は進行方向右側に重なるように同じ向きで立っていたとしながら、植草氏の左肩は見えず、右肩が見えたと証言している。

  携帯電話で友人に痴漢騒ぎが起きたことを伝えるメールをしたと証言している。午後10時39分の送信画面の写真を提出し、「横浜駅に差し掛かっているあた り」と述べているが、運行ダイヤによれば午後10時30分には横浜駅に着き、39分には上大岡駅の直前まで来ることになっている。

  携帯画面の撮影は06年12月18日に検察で行ったと証言したが、これは履歴の閲覧可能期間の93日を過ぎた直後に当たる。

  この目撃者は植草被告が眼鏡を掛けていたことを覚えていなかったが、これは極めて不自然である。第9回公判では、弁護側が日本大学のI教授に依頼して心理学実験をしてもらったことが明かされた。

  事件当日の状況を再現して被告人が眼鏡を掛け、目撃者の目線から撮影した9枚の写真を学生に1枚につき8秒ずつ、合計72秒間見せた。警察に話したのと同じ3日後に集まってもらい、アンケートを採ったところ、20人中19人が眼鏡をはっきりと覚えていた。

  身長が183センチある屈強なこの目撃者は、蒲田警察署で6〜7時間話をし、検察庁に4回足を運んだことを公判で明かしている。

  一方、第9回公判に現れた弁護側目撃者は初めから植草氏の顔を知っており、眼鏡の形状や持ち物、酔いの程度やつり革につかまりぐったりしていた様子に至るまで、証言が極めて詳細である。時間と場所、逮捕者が2人だったことも植草氏の証言や初期報道と完全に一致する

  そして、第3回公判に出廷した男が「車内では一人で取り押さえた」と証言してから警察発表・報道が「一人」に変わった。

  7月4日の論告で検察側は「第9回弁護側目撃証人は本件電車に乗車しておらず、仮に証言内容に近い状況があったとすれば、本件とは全く別の機会であったと考えるのが自然だ」と述べている。しかし、信ぴょう性に乏しいのが第2回の検察側目撃者ではないか。【つづく】


【PJ 2007年08月17日】2007年08月17日06時27分− 何一つない犯行の証拠
(1)からのつづき。目 撃証言以外の矛盾点として、植草氏の体勢を挙げておきたい。事件時、植草氏はバッグを肩から掛け、右手で上方のつり革か手すりにつかまり、酔った状態で 立っていたことが分かっている。そのため、検察側は「左手首に傘を掛け」犯行に及んだと主張してきた。しかし、植草氏は傘の柄のてっぺんを上からつかんで 杖のようにして持っていた。

  検察は公判で植草氏の手の付着物が高校生の着用していた紺色スカートの構成繊維と「類似している」との証言 を提示した。これに対し弁護側は、植草氏がもみ合った京浜急行蒲田駅駅員が着用していたものと同じ紺色制服の生地を入手し、大学に繊維鑑定を依頼した。結 果は「極めて類似している」とのものだった。しかし、裁判所はこの証拠も大学教授の証人尋問申請も却下した。

  犯行の証拠が何一つない以 上、裁判所は刑事訴訟法の規定通り、無罪を言い渡さなければならない。被害者の主張が事実なら、真犯人は別にいたことになる。論告は「被告は真犯人を捜そ うとしておらず、真犯人というのは架空の産物」としているが、本来被告に無実の立証をする必要はないはず。それなのに無実であることを証明する努力をここ まで強いられている。被害者の主張を認めながら真犯人を探す努力をしなかったのは警察の方ではあるまいか。

誤解される過去の「事件」
  植草氏が疑われる要因に、2004年と1998年に起きた「事件」がある。これらの概要は次のものである。

  2004年の事件は、4月8日に横浜市長が主催する昼食会を兼ねた勉強
会で講演した帰りに起きた。長男の誕生プレゼントを買うために駅ビルの書店に立ち寄ると、不審な男2、3人が後をつけてくる。目的の本がないことを察し、自宅の最寄り駅である品川へ向かおうと、京浜東北線に乗る。その間も不審な男が植草氏を監視していた。

  品川駅の改札を出るとバスターミナルに降りたが、電話を入れておかなければならない用を思い出し、携帯電話を掛けられる場所を探す。適当な場所が見つからず、エスカレーターで公衆電話コーナーに戻ろうとした。中程まで上がった所で、右ひじを後ろからつかまれた。

  「警察です。ちょっと来てくれませんか」。ポケットの中の所持品を出せと言う。左ポケットから手鏡が出てきた。警官は「え、手鏡か」と驚き、携帯電話を出せと求める。アタッシュケースの中から取り出した携帯電話には、植草氏の知人の下着姿の画像が保存されていた。

  この警察官は神奈川県警の鉄道警察隊に所属する志賀博美巡査部長(当時)。越境逮捕であり、しかも同行した末永巡査との巡回は事前の勤務計画にはなかった。弁護側が当日の勤務表の提出を求めたが却下されており、非番の日だった可能性もある。

  高輪署では利益誘導があった。容疑を認めれば略式起訴で終わりマスコミへ公表されないが、否認すれば長期勾留(こうりゅう)になり、仕事もできなくなると 言われた。10日夜に品川駅に防犯カメラがあることに気付き、映像の検証を裁判官、弁護士(警察が紹介した検察OB)、取り調べの警察官、検事に訴えた が、10日もたって「消えた」と告げられた。

  被害者とされた高校生の母親から、「被害届を出した覚えもないし、裁判にしないでほしい」との上申書が検察庁に提出されている。

  1998 年の事件は東海道線の車内で起きた。4人掛けボックス席の通路側に座り、向かい側には女性が2人いた。植草氏は当時ももの付け根に湿疹があり、かゆさから 2、3度左手でかいた。たまたま車掌が通りがかると向の女性が「この人感じが悪いんですが」と車掌に話し掛けた。川崎駅で事務室に連れて行かれ、鉄道警察 へ。

  「ひざを触っただろう」と詰め寄られた。電車が大きく揺れたとき、荷物を抱えていた手の小指の先が0.1秒ほど女性のひざに触れた ことがあった。そのことを話すと、「触れたのではなく、触ったのだろう。触わったと言わなければ逮捕する」と怒鳴られた。「触ったと認めて上申書を書けば すぐに返してやる。外には絶対漏らさない」と言われる。後日検察であらためて事実を説明しようとするが、女性検事に「このような上申書を書いているんで しょ」と強く叱責(しっせき)され、あきらめた。【つづく】


【PJ 2007年08月18日】2007年08月18日10時45分− 脅迫的な取り調べと誘導
  (2)からのつづき。「やっ てないなら認めなければいい」という人もいるかもしれない。それをさせないのが脅迫ともいえる高圧的な取り調べと利益誘導である。98年の事件時、植草氏 はすでにテレビ番組出演していた。鉄道警察で上申書を書くのを渋ると、「よし逮捕だ」と別の部屋に行こうとされた。上申書を書くとすぐに解放されたが、一 週間後、同じ警察に呼ばれる。調書作成時、途中で発言するごとに大声でどう喝され、指示に従わざるをえなかったという。

  2004年の事 件では植草氏が容疑を否認すると、「現認逮捕だからひっくり返ることは絶対にない。裁判をやってもあなたは100%負ける」と高輪署の警官が声を荒げた。 長期勾留とマスコミへの告知を避けるには、午後5時まで容疑を認めなければならないとせがまれた。苦渋の選択を迫られた植草氏は調書の作成に応じるが、エ スカレーター上の状況に及ぶと「ハンカチを持ってただ立っていただけだ」と話すしかなかった。すると古旗という警官は突然「きょうはこれで終了」と言って ドアを開け、フロアに向かって「否認!」と叫ぶ。植草氏は続行を請うしかなかった。

  04年の事件は、98年の事件を表面化させる狙いで 仕組まれたのではないかと植草氏はみる。98年の事件の話は、品川の交番で警官の方から出してきたからである。植草氏は不思議に思ったという。高輪署で植 草氏が事実を話し始めると、古旗警官は「あー、分かった分かった」と勝手にパソコンに打ち込んだ。調書には、電車内で自慰行為をしたと事実無根の供述が書 かれていた。

  今回の事件でも、起訴までの20日あまり、過酷な取り調べが続いた。終日過酷な状況下に置かれ、検察に6度も連行された。縄手錠を掛けられての検察庁への「押送(おうそう)」「逆送(ぎゃくそう)」は、一種の拷問だったという。

  取り調べ検事は、「否認を続ければ裁判で私生活を攻撃して家族を徹底的に苦しめてやる」との発言を繰り返す。警官は、「否認を続ければ長期の勾留となり、 小菅(東京拘置所)に移送される」「否認して裁判になれば、必ずマスコミの餌食になる」と繰り返した。植草氏はこれを脅迫と感じたという。【つづく】


【PJ 2007年08月19日】2007年08月19日06時43分− 植草氏への大掛かりな悪宣伝
(3)からのつづき。多くの国民が植草氏を「クロ」だと見なすのは、マスコミの影響が大きい。マスコミでは意図的とも思える植草氏へのブラックキャンペーンが張られている。

  新聞の場合、検察側の主張だけを載せる。例えば、7月18日の公判を報じた翌日付けの毎日新聞の記事は懲役6月が求刑されたことを伝え、「検察側は、被害 者や同乗者の証言に加え、いったんは容疑を認めて自殺を図ろうとした植草被告の態度などから、『弁解は不合理で全く信用できない』と述べた」と記す。そし て植草氏が女子高生のスカートをたくし上げて体を触ったことを挙げて記事を結ぶ。しかし、植草氏は一度も容疑を認めていない。この文言は「取扱状況報告 書」にねつ造して書かれていたもので、植草氏は接見禁止を求める検察の「準抗告申立書」を見て始めて知った。

  「酔って覚えていない」と の語句も報道でよく見られたが、植草氏はこのような発言をしていない。「やった覚えはない」との発言を警察が「やったかどうか覚えていない」と調書に書い た。それをマスコミが尾ひれを付けて伝えた。「警察のでっち上げ」との語句は否認する植草氏に警察官が発した言葉だという。架空の供述を警察がマスコミへ リークしたと植草氏は著書で訴える。

  そもそも、真実を語ることが「弁解」なのだろうか。家族への影響と自身の今後を思い絶望感から自殺を考えることのどこが不合理なのか。一般紙はこの不合理な検察の主張を積極的に載せている。

  スポーツ紙や週刊誌、芸能ニュースは、変質者のレッテル張りに余念がない。求刑のあった翌7月19日付のインターネットニュース『ZAKZAK』(夕刊フ ジのネット版)は「ミラーマン性癖…ヘルスでは『後方からプレー』」と題し、植草氏の変態性を宣伝する。非公開で行われた女子高生への尋問内容との名目で 女子高生の尻をどうなで回したかを面白おかしく紹介し、風俗店での行為やアダルトビデオを買ったことなどを取り上げている。検察が事件の事実関係でなく私 的な行動を洗いざらい公表するのは筋違いだが、こうした部分に焦点を当てて報じるのは人権侵害ではないか。

  こうしたニュースに使われる植草氏の顔写真はいつも、目を見開いてぎょろりと右下を見詰めたとぼけたもので、明らかに失敗写真としてはねられたものである。「ミラーマン」「サワリーマン」との語句も統一性があり、作為的なものを感じる。

  メディアは事件の真相をまじめに考えさせないように必死である。7月19日午前5時台に「植草事件求刑で検察側が決定的事項認める」のPJニュースがトッ プページにアップされると、3時間もたたないうちにスポーツ報知が「ヘルスでの制服お触り暴露! 植草被告6月求刑」との記事を出し、差し変わった。【つづく】

■関連情報
「植草一秀教授は無実だ」、検察が矛盾とわ  たしは見る
植草事件求刑で検察側が決定的事項認める
ジャーナリズムの本当の目的
植草一秀教授 著書で無実訴え、 『知られざる真実−勾留地にて−』(イプシロン出版企画)

※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。

パブリック・ジャーナリスト 高橋 清隆【 神奈川県 】
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謎の多い事件の闇に鋭く迫ったルポルタージュ 『あの時、バスは止まっていた』。
これを読んだあなたの意見が事件の謎を明かす一歩となるかもしれない。
内容紹介
◎ジャーナリスト 大谷昭宏氏推薦

白バイは“黒バイ”か
地方局記者が執念で迫る

「これです」
被告の支援者が数枚の写真を取り出した。
路面には黒々とした二本の筋。
裁判で有罪の決め手となった、スクールバスの「ブレーキ痕」だ。

「このブレーキ痕は、警察が捏造した疑いがあります。これは冤罪ではありません。警察組織の犯罪です」

――二〇〇六年三月三日午後二時半頃、高知県旧春野町(現高知市)の国道五六号で、高知県警の白バイと遠足中のスクールバスが衝突し、白バイ隊員(二十六)が死亡。
バスの運転手、片岡晴彦さん(五十二)は現行犯逮捕された。
同年十二月には業務上過失致死罪で起訴され、翌二〇〇七年六月には禁固一年四カ月の実刑判決が高知地裁で下された。
その後、高松高裁、最高裁と判決は覆らず、二〇〇八年十月、片岡さんは獄中の人となった。

香川県と岡山県を放送エリアとする地方テレビ局「KSB瀬戸内海放送」。
同局の報道記者である著者のもとに突然、見知らぬ男性から電話が掛かってきた。
男性は、「この裁判は作られたものだ」と訴えた。
事件が発生した高知県のマスコミは、どこも耳を貸してくれない。
藁をもすがる思いで、かすかなつてを頼って県外の地方局の記者に連絡してきたのだ。

この一本の電話をきっかけに片道三時間半、著者の高知通いの日々が始まった。
法廷の場で結審されたとはいえ、不可解な点が多々ある高知「白バイ衝突死」事故。
本事件の闇を徹底的に追った渾身のルポルタージュ!

◎テレビ朝日『報道発 ドキュメンタリ宣言』の放送で大反響!
  
    ■ 耐震偽造で新たな展開になっています ご興味があればごらんください --> まとめページをアップ   2006.10.20
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